新食感のものを食べたときと、同じ感じ
片桐
ぼくはその家出してなかった次男です。
「銀二(ギンジ)」って、「片桐仁(カタギリジン)」をアナグラムで入れ替えた役名にG2さんがしてくださったんです。
久ヶ沢
ぼくはその主人公一家の親戚です。50歳です。
片桐
妹の三菜子が、大和田美帆ちゃんですね。20年前に兄貴の一朋(かずとも/山内の役名)が失踪しちゃったんです。
山内
昨日ね、通し稽古のあとマネージャーと打ち合わせがあって、「通し、どうやった?」って聞いたら、20代の女の子なんですけど、ずいぶん考えたあとに「おもしろくないということは全然ないんですけど、おもしろいかどうかもわかりません」(一同爆笑)。
「それ、どういうことや?」「どうゆうていいか、わからないんですけど……」って……いろいろ聞いていくと、どうやらね、新食感のものを食べたときと同じ感じみたいなんです。
久ヶ沢
あー、人生で初めてコーヒーを飲んだときみたいな。
山内
うん。基本の構造が、家族を題材としたホームコメディの中に非常に重い題材が入ってるから、どういうふうに見ていいのか、わからない……
山内
……というところから、そういう感想になったらしいんです。
山内
そこやと思たんですよ。(この芝居は)そこを楽しめるかどうか、ていうのがカギやなーと。
久ヶ沢
そうだよね、ふつうホームドラマにつける味つけは軽いのに、めちゃくちゃ重い味つけしてきたから、そちらに引きずられると……
山内
「笑うてええんかどうか」とか「すごくリアルで重いこと」ってなるんですけど。でもね、こんな話は、この先スタンダードになる話だと思うんです。久保さんとも、そういう話をよくするんですけど、すごく軽いベースに重いものがのってるというか、サンドイッチにものすごい具がはさまっているというか……そこを楽しめるかどうか、でしょうね。
ホントに素直に役のことをやっていけばいい
山内
ぼくら、政治に関心がないように育てられてきたけれど、3.11以降、全部変わったじゃないですか。この芝居で問題になってるものも、ぼくらが生まれるずっと前から当たり前にあったものなんですよね。
何年か前にトム・ストッパードの『ロックンロール』っていうイギリスのホンを演ったんです。「プラハの春」のころのチェコと、現代のイギリスを行ったり来たりして、共産主義と民主主義のすごく難しい話なんですけど。ホンを読んで、説明を聞いて、稽古してると、おもしろいんです。朝ごはん食べるときに、セックスの話なんかと同じように政治の話をしてるんですよ。ぼくらには、すごく不思議なんですけど、海外ではそれが当たり前なんですって。
その『ロックンロール』も、いろんな国で公演してるんやけど、日本人だけがわからないって。それが腹が立つから、って栗山(民也)さんがやったらしいんですけどね。(『デキルカギリ』には)そういうのに近いおもしろさがあるなー、と思うんです。
片桐
そうですねー……やってて、ホントに戸惑った時期もあって……ぼくの役は、家族の一員として、当たり前のこととしてその問題の関係者として、いますからね。そのなかで兄貴がある種の正義感からいなくなって、でも家の中ではその兄が悪として存在していて、それが帰ってくる。家族としては、ふつうに家族の問題なんですね。演ってるほうは、どう演ればいいんだろうっていうのがあったんですけど、飲みに行ったときに、山内さんに「ホントに素直に役のことを演っていけばいいんじゃないか」って言っていただいて、「あ、そうだなー」って思って……
山内
それに関わってることが家業なわけやから、「とらやのダンゴ」と一緒やねん。そこがおもしろいな、と思ったわ。
片桐
そういう人って、ぼくらが知らないだけで、実際にいるわけですからね。そういう人にとっては、お兄ちゃんが帰ってくるほうが非日常ですから、まぁ、うろたえるわけですよね。それを家族が解決していって、というか、前へ進んでいく、という話なので、一所懸命に家族をやろうと思ってます。