▼#1 いざシカゴへ! ▼#2 シカゴ乗り物三昧 ▼#3 ライト・イン・ザ・ピアッツア! ▼#4 ニューヨーク上空380m ▼#5 中村座N.Y.公演 ▼#6 怒濤の17時間 ▼#7 思いをめぐらせて |
NYをいろいろ歩いてみた。18年前とかなり変わっているような気もするけれど、何も変わっちゃいないような気もする。18年前に夜の大半を過ごしたエセックス・ホテルのバーへ行けば何か感慨もあったかもしれないが、結局、行かなかった。五番街は変わってない印象が強く、リトル・イタリーはかなり変貌していたように思う。なにせイタリア料理店はほとんど姿を消し、イキな小物屋、洋服屋、カバン屋、などなど。なんていったかな、ノース・オブ・リトル・イタリーの頭文字をとって、なんとかって言う新しい呼び名がついていて、いわゆる今もっともヒップなエリアなんだとか。興味のある人はニューヨークの観光書を読んでちょ。マルベリーストリート付近で「これは珍しい」とばかりに買った小物は、後ですべて新宿で手に入ることがわかった。恐るべし日本。
それにしても、9・11以来、主な観光名所に入るには、飛行機に乗るのと同じ手荷物検査を受ける。国連の中の展示場や売店に入るのも、エンパイア・ステート・ビルに登るにも、自由の女神を見物するフェリーに乗るのにも、いちいち手荷物をX線検査、金属探知機のゲートを潜る。そのたびごとに「テロ」を意識するけれど、荷物を回収したとたんに平和しか感じていない平和ボケの日本人の私。 フェリーに乗って自由の女神を眺めてみると、『海の上のピアニスト』だっけ? 『ギャング・オブ・アメリカ』だっけ? 何かの映画の冒頭のシーンで「自由の女神を眺める移民たち」の気分を味わえる。移民たちはマンハッタン島に上陸する前に必ずこの前を船で通らなくてはならない。何か希望を求めて、新しい土地に挑戦(逃げてきた人もいるだろうけど)しようとした人たちの気持ちがなんとなくわかる。よく考えてみりゃ、アメリカって国はそういう人とその子孫だけで構成された国だから、他の国と断然「国民の気質」が違うのも当たり前のことだな。と当たり前のことに感動するのも、これも自由の女神の力か。18年前は「ゴーストバスター」たちがこの自由の女神を操縦してNYの街を闊歩したのであった。ところで英語では「自由の像」なのに、誰だろう「女神」と最初に訳した人は。
平成中村座の他に今回の旅行を利用して2本のミュージカル作品を観た。 ![]() 劇場のもぎりを見て「へえ」と驚いたことがある。あのスーパーマーケットのレジのような赤外線の「ピッ」と音をたてる機械の携帯ヴァージョンを持ったもぎりの兄ちゃんが、チケットのバーコードへ赤外線を当てる。見事「ピッ」と音がすれば、通過OK。便利だな。日本もこれ取り入れたらいいのに。 『スプリング・アウェイクニング』は観ていて、とにかく興奮した。 ただでさえミュージカルをやるには小さい劇場。その舞台上にも客席を設けて、さらに小さくしてしまっている。オケピのない劇場だからバンドはオンステージ。少数精鋭で軽快なロックバンド。出演者は先生役のお二人以外は、若い人ばっか。舞台装置は大きな転換はないけれど、いっぱい吊られた電球や、いろんな遊びが隠された壁や、照明や、人の動きで、退屈させない。振付も斬新だけれど、前衛に走らず好感。なにより曲に入るタイミングや終わるタイミングや、そういうことがいちいち気持ち良い。ほんの少し何かが違うだけで、一瞬のうちに世界を変える演出。あと、1幕のラストに入るセックスシーンがリアルでいい。すごくH。全体の内容も結構ハード。結局、「彼」は死んじゃったりするしね。日本に帰ってきてから知ったんだけれど、これって19世紀のドイツで発禁となった戯曲らしい。邦題にするなら「春のめざめ」よりも「性のめざめ」とか「思春期」とかすべき内容。若さゆえの脆さや美しさや汚さや優しさや残酷さ、葛藤やら興奮やら感動やらが詰まったお芝居。そう、お芝居がちゃんとお芝居しててよかった。 「これは、日本版があるなら、ぜったいG2が演出するべきでしょう! 日本の演出家で私以外に誰がやれよう?」と、なんだか過剰な使命感に燃える。「帰国したら、どこが権利をとったか調べて『演出させてくれっ!』と直談判しよう。土下座も辞せずだっ!」と興奮するも、帰国後調べてもらったら某巨大劇団が権利を買い取ったらしい。あの劇団では私の演出はあり得ない。プチ挫折を味わう。 ![]() でも、観てよかった。大好きなタイプの『スプリング……』に比べて、嫌いなタイプのミュージカル。客席に笑顔を向けて楽しく踊り、歌うという軽快なパターン。なのに……。あそこまでやられると、それはそれで痛快だった。半端じゃないのよ。主人公の太りっぷりと、動きっぷりが。ここまでやるか? という笑いがこみ上げてくる。客層もティーンが多いみたいで、幕開きとともに黄色い声援が飛ぶ。母親を男性が演じているのもキモくてこの場合効果的。見終わった後は、あの太った女優さんがいて初めて成立する企画だな。と思ったのだが、よく考えてみれば、日本公演中も、NYでも公演している。つまり、あれをやれる女優さんが少なくとも二人はいるっていうこと? 恐るべし、ブロードウェイの層の厚さよ。 本当は、NYの店の接客態度の悪さについて、くどくど書こうと思っていたのですが、2ヶ月も過ぎてしまったので怒りも薄れてしまい、あまつさえ何について怒っていたのさえ忘れてしまったので、それについては書かない。いや、書けない。人間は忘れる動物なのね。ただ、NYでのメモ書きの一行。「だからアメリカにはファーストクラスが必要」については、今読み返しても納得である。普通のサービスが悪すぎるために、ファーストクラスを設定しないとやっていけないのだアメリカは。世界の先進国でも「貴族」が存在しない珍しい国なのに。自由と平等の国のはずなのに。もったいない。 ところで、知りあいに「日記読んでますよ」と言われるたびに、なぜか「すみません」と謝ってしまう私。どうも「日記」というものが苦手だ。ブログ人口ってどのくらいあるんだろう? 人に読まれるための日記を書くのが好きな人が多いのね。私の場合、それって苦痛。っていうか、人に読まれない日記も苦手なんだけど。そういうわけで、アメリカ日記は消極的撤退、今回でお終い。
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